今季限りで引退するヤクルト「坂口智隆」選手の野球人生を振り返る

近鉄バッファローズ最後の戦士としてプロ野球界で活躍していた坂口選手が今シーズン限りで引退しました。20年間のプロ野球現役生活に幕をおろしたヤクルト「坂口智隆」選手。

今回は、坂口選手の野球人生を振り返っていきます。

42 坂口 智隆(さかぐち ともたか)

引用元:東京ヤクルトスワローズHP
名前坂口 智隆(さかぐち ともたか) 
ポジション外野手
投・打右投・左打
身長・体重 181cm・82kg
出身地兵庫県
経歴神戸ドラゴンズー神戸国際大付高 ー 近鉄 ー オリックス  

プロ入りまで

坂口選手は小学校2年生の時に「鵯台ライオンズ」に入団し野球を始めました。中学生時代には硬式のヤングリーグ「神戸ドラゴンズ」に入団しました。1個上の先輩には西武ライオンズで活躍している「栗山巧」選手がいました。

高校は神戸国際大学付属高校に進学し、1年秋からエースとして活躍します。2年春の甲子園にエースで出場しています。高校通算は23本塁打を記録しています。

2002年のドラフト会議で、元ヤクルトの高井雄平選手の外れ1位として近鉄バッファローズから1位指名を受け入団しました。結果として近鉄バッファローズとして最後の1位指名選手となっています。高校時代はエースでしたが、打撃と俊足強肩ということから外野手に転向しています。

雄平選手とは後にヤクルトのチームメイトとして、同じ外野手として活躍していますね。そして雄平選手も投手として入団したものの、途中から外野手に転向して同じチームの外野手として活躍することは、当時は想像つかなかったでしょうね。

近鉄・オリックス時代

プロ入り1年目の近鉄時代は2軍で打率.302という成績を残しました。

球団合併にともないオリックスの所属となった坂口選手は2007年開幕戦で1番センターでスタメン出場を果たします。翌2008年は142試合に出場し150安打を放ち打率.278 盗塁13を記録します。2009年も137試合に出場し打率.317と初の3割台を記録しました。2011年には144試合、全試合に出場しリーグトップの175安打をマークしています。

2015年のシーズンが終わり契約更改で、野球協約上の減額制限を超える大幅な減俸を球団から提示されたため、坂口選手は球団に自由契約を申し入れて、東京ヤクルトスワローズに入団することとなりました。

ヤクルト時代

ヤクルト移籍後は外野のレギュラーとして活躍します。2016年には1000本安打を記録しました。2018年のシーズンは139試合に出場して、打率.317をマークしています。

2019年に死球を受けた際に左手親指を骨折してしまいます。復帰後も感覚を取り戻すことが出来ずに2軍落ちし、22試合の出場にとどまりました。2020年には再び114試合に出場し、1500本安打を記録しています。

2021、22年と出場機会が減り2022年に引退を決意しました。



まとめ

走攻守3拍子揃い、身体能力が高い坂口選手はファンとして観ていてとても楽しい選手でした。

引退試合でも安打を放っていた姿をみても、あともう1年ぐらい観たいなと、勝手な願望をもってしまうところです。

また何かの形でヤクルトに戻ってきてくれることを楽しみに待ちたいと思います。20年間のプロ野球現役生活お疲れさまでした。

引退する選手がいる一方で、今年のドラフトで新たにプロ野球生活をスタートさせる選手達もいます。今年のドラフトで指名した選手についてもまとめてますので、興味があれば覗いてみて下さい。

その他、少しずつですが引退した選手を振りえるシリーズもアップしていきますので、良かったら他の引退した選手の記事も覗いてみて下さい。

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