2022年のシーズンが終わり、来季に向け松山で秋季キャンプが開催されていますね。今季限りで現役を引退し、ヤクルトのバッテリーコーチに就任した「嶋基宏」コーチも内山選手ら若手の捕手の育成に励んでいます。
今回はそんな嶋コーチのプロ入り前から、現役時代までを振り返りたいと思います。
45 嶋 基宏(しま もとひろ)

名前 | 嶋 基宏(しま もとひろ) |
ポジション | 捕手 |
投・打 | 右投・右打 |
身長・体重 | 179cm・84kg |
出身地 | 岐阜県 |
経歴 | 中京大中京高 ─ 国学院大 ─ 楽天 ─ ヤクルト |
選手としての特徴
嶋選手は、素早く正確なスローイングでセカンド送球は安定しています。フィールディングが良くス倍動きのできる捕手です。コミュニケーション能力が高くベンチにいる時でもチームの力になれる選手です。
プロ入り前まで
嶋選手は、岐阜県の出身で小学校1年生の時に岐阜県梅津市にある「吉里少年団」で野球を始めました。小学生の時は投手をしていました。
中学も梅津市にある日清中学校に進み学校の軟式野球部に入部します。中学2年の時には全国大会にも出場しています。
高校は愛知県の中京大中京高校に進学します。1年秋からベンチ入りをし、3年春の甲子園では二塁手として出場しています。春の甲子園では1回戦で広島の広陵高校と対戦し負けてしまいました。この時の対戦した広陵高校は巨人の「西村健太朗」投手と広島の「白濱裕太」捕手のバッテリーでした。
3年の夏は甲子園に届きませんでしたが主将で二塁手としてチームを引っ張りました。中京大中京高校ではチームメイトに2007-2008年と巨人に在籍した「深町亮介」投手がいました。
大学は国学院大学に進学します。嶋選手は捕手のイメージが強いと思いますが、実は大学に入学してから肩が強かったことで捕手にコンバートされました。1年春からベンチ入りし、3年時はリーグ戦で首位打者を獲得しています。大学4年時には主将を務めています。1学年下で嶋選手から主将を引き継いだのは、後に楽天でチームメイトなる「聖澤諒」選手でした。
2006年の大学生・社会人ドラフトで3位指名を受け背番号37で楽天に入団しました。
東北楽天ゴールデンイーグルス時代
ルーキーイヤーのプロ入り1年目の2007年に開幕1軍を果たすと、なんとオールスターにもファン投票で出場します。1年目は125試合に出場し盗塁阻止率リーグ2位をマークしました。
プロ入り4年目の2010年には選手間投票でオールスターに選出され、最終的には規定打席に到達し打率.315を記録し、捕手として3割を超える打率をマークしました。この年はゴールデングラブ賞とベストナインも受賞しました。この年のオフに選手会長にも就任しています。
2011年には、楽天の本拠地である宮城県を東日本大震災が襲い甚大な被害を受けました。、2011年4月2日に東日本大震災の復興支援のために行われた慈善試合の前に行った嶋選手のスピーチで「見せましょう、野球の底力を」という言葉を覚えている人は多いのではないでしょうか。
2019年まで楽天でプレーしましたが、その間日本代表にも選出され国際大会も経験しました。2019年オフに球団から減額制限を超える条件提示を受け、他球団で出場機会を求めるため自由契約を申し入れ自由契約となり、ヤクルトに移籍することとなりました。
東京ヤクルトスワローズ時代
移籍後の2020年シーズンは怪我に泣かされ、3月に阪神戦で死球を受け右手の親指付近を骨折し、復帰後の7月に巨人戦で守備中に負傷し右足舟状骨を骨折しました。9月に実戦復帰したものの自己最小の20試合に終わりました。
ヤクルト移籍後は出場機会は少なかったものの、野球に取り組む姿勢やベテランながらチームの雰囲気を盛り上げる姿勢が高く評価され、2022年は選手兼任コーチとなりました。
2022年9月に現役引退を表明しました。引退のセレモニーでは、東日本大震災の復興支援の親善試合でのスピーチ「見せましょう、野球の底力を」という言葉にかけて「見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を」というスピーチをしました。
現役は引退しましたが、来季は「バッテリーコーチ兼作戦補佐」として背番号は45⇒73となりヤクルトを支えてくれます。
まとめ
現役引退をした嶋選手は、さっそく11月松山での秋季キャンプで若手捕手の育成に励んでいますね。
内山選手も高校2年までは遊撃手と内野手をしていたので、嶋コーチから教わるのは共通の感覚があって良さそうですね。
来季もヤクルトに残ってくれた嶋コーチを応援したいと思います!٩( ”ω” )و
少しずつですが、引退した選手を振りえるシリーズもアップしていきますので、良かったら他の引退した選手の記事も覗いてみて下さい。




