2022年10月28日ヤクルトスワローズから宮台康平選手と来季の契約を結ばないと発表されました。
球団側は宮台選手を来季も戦力として考えていたようですが、宮台選手から引退の意志を伝え今季限りで引退することとなったようです。
宮台選手といえば、東大出身のプロ野球選手として知られていますが、今回は宮台選手の野球人生を振り返りたいと思います。
68 宮台康平(みやだい こうへい)

名前 | 宮台 康平(みやだい こうへい) |
ポジション | 投手 |
投・打 | 左投・左打 |
身長・体重 | 178cm・83kg |
出身地 | 神奈川県 |
経歴 | 戸塚中ー湘南高ー東京大ー日本ハム |
高校時代まで
宮台選手は神奈川県出身で小学校3年生の時に、地元の横浜市戸塚区の「戸塚ACF Hawks」で野球を始めます。6年生の時は背番号5を付けてプレーしていました。
中学は戸塚中学に進み学校の軟式野球部に入部してプレーしました。
高校は県立の湘南高校に進学します。湘南高校は偏差値70を超える県内のでもトップクラスの進学校で、毎年何人も東大に進学しています。野球部はそこまで強いレベルではありませんが宮台選手が3年生の時には、春の神奈川県大会で準々決勝まで勝ち上がり東海大相模に0対3で敗れたもののベスト8になっています。
大学時代
東京大学に進学すると、1年時から試合で登板しています。3年春のリーグ戦の早稲田大学戦では毎回奪三振の13奪三振を記録しました。この記録は東京大学内の1試合奪三振記録を70年振りに更新しました。3年時には東京大学としては33年振り2人目の日米大学野球選手権大会の日本代表にも選出されています。
4年時も秋のリーグ戦で完投勝利をするなどしてチームの柱として活躍し、リーグ戦では通算で6勝をあげています。
2017年ドラフト会議で日本ハムファイターズからドラフト7位で指名を受けて、日本ハムに入団することとなりました。
日本ハム時代
東京大学法学部出身の宮台選手は入寮時に、六法全書を持参し報道陣を沸かせていました。
デビュー戦はプロ入り1年目の8月23日の対ソフバンク戦でした。4回2/3を投げましたが勝敗は付きませんでした。右の股関節を痛めた影響もあり、この後1年目は2軍での生活となりました。
2年目3年目も2軍生活が続き、3年目のシーズン終了後に自由契約となりました。12球団合同トライアウトに参加すると、3者連続三振を奪いヤクルトから支配下登録選手として声が掛かり、ヤクルト入団が決まりました。
日本ハム時代は、1軍登板がルーキーイヤーの1試合のみという結果となりました。
ヤクルト時代
ヤクルト入り後1年目の2021年は2軍で27試合に登板し、防御率2.13と安定した成績を残しています。
2年目の2022年は7月12日に1軍昇格を果たし、7月14日の対中日戦の8回に登板すると1回を三者凡退で抑えています。3日後の対横浜戦でも5回から登板し3者凡退に抑えましたが、続く2イング目の6回に乱れ5失点をして降板しています。
その後は2軍落ちし、シーズン終了後に自ら球団に現役引退を告げました。球団は来季も戦力として考えていたため引き留めたそうですが、本人の意志に変わりはなかったようです。
まとめ
ヤクルトファンとして、また来季も宮台選手の投げる姿を観たい思いはありましたが、宮台選手のことなので人生で他にもやりたいことがあり、野球選手としての区切りをつけたのでしょうね。
本音はヤクルト球団の頭脳として活躍して欲しいところですが、野球とは別のステージでも宮台選手が活躍することを応援しています。
引退する選手がいる一方で、今年のドラフトで新たにプロ野球生活をスタートさせる選手達もいます。今年のドラフトで指名した選手についてもまとめてますので、興味があれば覗いてみて下さい。

その他、少しずつですが引退した選手を振りえるシリーズもアップしていきますので、良かったら他の引退した選手の記事も覗いてみて下さい。




